昔気質技術者のお小言

車、日用品、家電製品、時事問題を技術者的に

”スマートフォンの弊害”は以前から

とあるラジオ番組で、スマートフォンが流行していることの弊害についてコメントされていた。
確か、オンラインゲーム中毒の話から発展したのだったかな。
スマートフォンの弊害なんて今さら言うまでもないか。
実際、その番組でもこれまでの説と大体おんなじこと。
まあ、もちろん、何回も繰り返し指摘されなければならないことなのだが。

ちょうどセンター試験の日だったので、
スマホで調べれば何でも分かるこの時代に、暗記した知識を問う試験に何の意味があるのか。これからはその知識をどう使うかを問う試験になるのでは」
なんて話もされていたが・・・

前にも書いたが、”考える”前提として”覚えて”いなければならないんだけどなあ。
脳ミソの中に定着している知識でないと、頭の中で知識を組み合わせたり発展させたりすることはできない。
その時にスマートフォン等から入れた知識では消化が足りないのだ。

あと、よく言われるのは、スマートフォンによって”会話”とか議論が無くなった、と。
ググれば?で議論が終わってしまう。
会話しない議論しないなんて輩は思考が停止しているのだ。
で?とかだからナニ?の先に思考とか議論があるのだ。

しかしながら、スマートフォンの弊害の話を聞いていて、ふと思った。
同じような人間はスマートフォン以前からいたよなあ、と。
すぐに思考を停止する奴
スマートフォンがない時代はどうしていたかというと、自分で書物を調べることもせずにすぐに人に尋ねる。
いわば他人をスマートフォン代わりにしていたのだ。
で、自分では思考しないから、過程や結論まで他人に訊く。
こういう輩は昔から少なからずいたのだ。

話を元に戻してスマートフォン時代の現代。
自分でものを考えることをしない、常に思考停止している、輩どもはスマートフォンによって、より馬鹿・阿保になる。
そうでない人間はスマートフォンで得た知識からさらに思考する。
思考能力的に中間に位置する人間は、多くが前者に転がって思考停止人間になる。

というわけで、スマートフォンによって人間は二極化するのではないかと思うのだ・・・