昔気質技術者のお小言

車、日用品、家電製品、時事問題を技術者的に

そもそも”自動車”ってなんなんだろね?

軽自動車、つまりN-ONEに乗りかえてみると、
そもそも”自動車”ってナニ?
と考えてしまう。
車に何を求めるか、という話よりもっと根本的な、定義的なこと。
こんなことを考えてしまうくらいの出来のN-ONEだ。
たぶん、他の軽自動車では「軽自動車だからこんなもんだろう」で話が終わるだろう・・・

車輪の付いた移動手段というか、自動車の先祖は駅馬車
ハードトップ”とか”セダン”とかの呼び方はこれに由来しているのだ。
古い米映画に出てくるような、富裕層が長距離を移動するときに馬車の中で快適に過ごすためのもの。”運転”は他人に任せる。

その後年、駆動機が付いた自動車が発明されると、それは馬を走らせるがごとく自分で走らせることが多くなった。
馬の世話をするようにある程度の整備も自分でやる。
車を走らせる喜び、は馬を操るがごとく、である。

その後、自動車はどんどん発達して現在に至る。
車を”モビルスーツ”に例えたコラムもあったことを思い出す。

車というのはそもそも移動手段であり、それに操る楽しみが付加されたもの、なのかな。
(自動運転がまだ実現していない現段階では)

移動手段であれば、車内はある程度の快適さが必要。
操る楽しみ、という観点では、”人馬一体”感が必要なのでは。

移動するスイートルームでもなければ、車内はある程度の広さがあれば十分。
そして人馬一体感は・・・

車はデカすぎると人馬一体感が薄れる、はずだ。
デカすぎるとその大きさが邪魔なことが多いし、車の四隅まで神経が行き届かない。
パワーがありすぎると車任せの部分がありすぎるし、操るのに神経を使いすぎる。
ガンダムZZがパワーがありすぎてコロニー内での戦闘に向かなかったごとく。(なんのこっちゃ)
狭い街中で大パワーモビルスーツを自由に操れるかね?
反ってストレスがたまることだろう。

駅馬車、そしてモビルスーツならば、昨今のコンパクトカーが最も車として”適して”いる、のでは。
そして最近の”できが良い”軽自動車も。
”人馬一体”感は得やすいし、車内も快適。

昨今流行りのデカいSUVとかミニバンとか、それは所有して楽しむ車というよりも、バスやトラック、あるいは客船、だ。
快適装備は主にお客様のためにある。
運転手も快適じゃなければ運転に支障が出るので、快適装備が付いている。

もちろん、バスやトラックや電車の運転手になりたい人もいるので、家庭内運転手になりたい人がいてもおかしくはナイ。
デカい車というのはもはやそういう意味しかない。コンパクトカーが発達した現在では。
トラックを自在に操ることに快感を得る人もいるだろうから、それも否定はしないが。

デカい車で威厳を示したい人もいるだろうが、そんな人の場合は大抵は「大男、総身に知恵が回りかね」である。

昨今のコンパクトカーや軽自動車にはもはや、自動車の定義とから必要な要素、が全部入っているのだ。
外形が小さくても車内は十分に広いし。出来が良いものであれば。

ま、出来が悪い車も少なくないですがね・・・
特に”視界”の観点とかで。