昔気質技術者のお小言

~ おいさんのへりくつ日記 ~

これからの自動車評論家に必要なこと

「自動車評論家」はあと20年もすれば消滅する、というコラム。
http://www.news-postseven.com/archives/20160615_420614.html

いや、それは違う、と思った。

自動車評論家および車雑誌はやはり提灯記事ばかりだ。
なぜこの車を褒められる?という記事は少なくない。

もちろん仕方ないところもある。
依頼先の選択肢が二つあって、片方はまず批判はない。もう片方は欠点を指摘するかもしれない。
どっちに依頼するかって、そりゃあ後者。

自動車評論家や自動車雑誌が本当のことを言うには、完全な第三者機関になる必要がある。
評価する車を自費で購入するかレンタルするか。
そういうつてがある人は好き勝手に書ける。
このコラムの筆者は希有な例。何かつてがあるんじゃないですか?
徳大寺某は金持ちだったし。
しかも晩年は言っていることがおかしかった。ホントに晩年の人が言うことしか言ってなかった。

もちろん上記コラムの筆者を批判するつもりはない。
プソウスで節約できるガソリン代を数字で書いてしまっているし。
もちろん電卓叩けば誰でも分かることだが、それを数字で出してしまうのはほぼタブー化していますがね。

さて、今後の自動車評論家が求められる要素は工学的知識だ。
そして趣味的知識も卓越していなければならない。
どちらか一方ではいけない。
これはなかなか難しいだろう。

現在の自動車は”一見”どれも高品質で皆同じかもしれない。
しかし現在の車は生活に必要な耐久品。つまり”工業製品”なのだ。
すぐ故障するんじゃ、それは悪い車。
それを見抜く力、取材できる力が必要。

良い車、すなわち良い工業製品かどうかは、いろいろな判断基準があると思うが、
まずはばらつきが少なく生産できているかどうか、
故障が少ない設計ができているかどうか、である。
この基準でダメな車、というかメーカーは少なくない。
三菱とかね。

自動車評論家にはそれに併せて趣味にどう活用するかとか、走行感の知識も必要になるわけだ。

車は機械だから故障するのが当たり前、なんてしたり顔でうそぶく輩は少なくないようだ。
でも何回も言っているが、設計や生産技術がしっかりしていれば、定期メンテをしてさえいれば重篤な故障は起きないものなのだ。
うそぶく輩は、ま、職人芸的な、”感覚”て作られた一品物をありがたがっているだけ。

今後もし自動運転車が主流になったとしても、自動車評論家は必要であろう。
提灯記事しか書けない自動車評論家は今でも不要だが)
自動で走行してくれる車であっても、いやだからこそ工業製品としての評価が重要になってくるし、
自分で運転しなくても走行性能とか走行感とかその他の趣味的要素の評論も必要だし。