昔気質技術者のお小言

~ おいさんのへりくつ日記 ~

ノーベル賞は”目的”ではない

このエントリーを書いているのはノーベル賞ウィークのとき。毎年この時期にノーベル賞について書いちゃってますが・・・
そんな中、こんな記事が。
http://www.sankei.com/world/news/161008/wor1610080022-n1.html

こんな、中国がやっていることをどう思いますかな?
おそらくほとんどの人は”くっだらない”と思うかと。

それでは、なぜ”クダラナイ”かを分析してみられたい。

実はそのクダラナさ要素は本家のノーベル賞にも当てはまる。
(言っておきますが、ノーベル賞を批判する意図は全くありません)
ノーベル賞は民間財団の賞であるが、民間だって中国国家と同じように”思想”があって、それによって受賞者を決めている。
平和賞なんてそれが明らかだし、他の賞でも、例えば今年はIT関係で、という具合。その際に導電性プラスチックの発明について日本人が受賞した。(覚えていますかな?)

じゃあ、ノーベル賞と中国のクダラナイ賞は何が違うのか。
あるいは京都賞(知ってますかな?)と何が違うのか。
正直なところ、私には本質的な違いはないように思える。
(繰り返しますが、ノーベル賞を卑下する意図もありませぬ)

しいて言うならば、ノーベル賞は民間賞なので特定の国の意図とは無関係、すなわちそれだけ国際的な評価が高くなる、ということか。
じゃあ”京都賞”は?
それはまー・・・個人の売名的な賞だから???

だから、自国で取れないからといって別の賞を創設してしまうのはともかく、日本人が受賞しているのに我々は・・・という半島国とかの議論とかはとてもクダラナイものなのだ。
ノーベル賞受賞者を出すためには」という意識でいる限り、ノーベル賞は取れない
ノーベル賞なんて単なる”結果”。人類貢献結果のうちのたった一つ
そんなことを目的とした施策なんぞやったら、その国の技術力は確実に低下する。

そもそも某半島国はノーベル賞なんかを取れるわけがナイ国民性
最短距離で結果を求めようとする。とにかく人の上に立ち、トップを取ろうとする。泥臭いことはしたがらない。
そんな意識じゃあ”技術”に大切な”土台”が固まらない。単なる砂上の楼閣。
土台なき技術は”技術”ではナイ

・・・と考えると、日本もそのうち誰もノーベル賞を取れなくなるだろう。
泥臭いこと、ローテクを軽視する傾向になってきているから。
大学なんか論文を書くため、チャンピオンデータを出すための研究しかしていないから。