昔気質技術者のお小言

車、日用品、家電製品、時事問題を技術者的に

いろいろな”お笑い”があるべきではないのか

日本のお笑い芸人は「終わっている」との説。
http://www.sanspo.com/geino/news/20170302/geo17030215560030-n1.html

こういう意見もあっていいのだが・・・
「終わっている」とばっさり切り捨てるのはどうかなあ?

確かにお笑い番組のほとんどはクダラナイ。
お笑い”芸人”としながら何の”芸”もない芸人がほとんど。
揚げ足をとったり会話で面白いことを言うことを”芸”とする連中ばっかし。
いや別にそれでもいいのだけど・・・所詮テレビだし・・・

漫才は”ヤンキーの立ち話”ばっかりだし。
それが”芸”なのか?
たまには漫才の最初に伏線をひいてあとでそれが効いてくる、というのもある。
でもたまにしかないね。

しかし、もし権力批評のコメディアンばっかりだったらどうなる?
それはそれで気持ち悪い。


日ごろからきちんと勉強していないと批評があっさいものになるし。
実際、とあるラジオの情報番組で芸人がパーソナリティをしているものがあるが、
社会批評のあっさいこと、薄っぺらなこと。
その薄さは紙よりも薄い、と言ったら紙に失礼というくらいにうっすい、クダラナイ。

そもそも”お笑い”って、ワハハと笑ってその後には何も残らない、というのがいいんじゃないのかなあ?
もちろん、社会を批評したお笑いもあってもいいし、むしろたまにはあるべきだ。
でもそればっかりになったら社会がギスギスしそうな・・・

きちんと物事を考えて権力批評ばっかりしている芸人さんはそのうちにお笑い芸人の枠から外れてしまう、のでは。
つまり批評家になってしまうと。
もちろんそれはかまいませぬが。

そういや昔、現在ではもう引退している元漫才トリオの大御所の人が言っていた。
「芸人から国会議員になった奴はたくさんいるが、国会議員から芸人になった奴はいない。つまり芸人の方が上なんや」
「○○さんは今度の選挙に出馬しないんですか?」
「そこ(議員)まで落ちとうない」(笑)