昔気質技術者のお小言

車、日用品、家電製品、時事問題を技術者的に

ラーメンや寿司は単なるファストフードだ

新興宗教”化したラーメン屋

なんかすごく馬鹿馬鹿しい話だ・・・

president.jp

ラーメン二郎には行ったことはないですが、これからも絶対に行かないでしょう。

こんな”新興宗教”には近づきたくない。

いろいろなしきたりがあって、それを守らないと常連から白い目で見られる、そんなラーメンがそんなに美味しいの?

 

そんながんじがらめがあってもなお、美味しいんでしょうけど。

へんてこりんなしきたりがなかったらもっと美味しいはずなのになあ。

 

しかし上記コラムでは「美味しいラーメン屋」でも二郎に負ける、と。

ラーメン二郎が提供しているのはラーメンではない」と述べられているが、ここまでくると、もはや提供しているのは新興宗教

新興宗教に入信してしまった人は周囲にもその価値観を押し付けるでしょ?

それとおんなじことになっている。

 

そんなことを言っていると、「本当に美味しいラーメンを食べたことがない哀れな奴」なんて言う輩もいそうだが、そういう考え方もまさに新興宗教・・・

 

気軽さと美味しさのバランスが取れたのが美味しい”食事”

ラーメンもそうですが、寿司もおかしな方向に進化していると思ってます。

そもそも寿司だってファストフードだったのです。

屋台で数貫気軽につまんで食べるものでした。

それがいまや、高級な寿司が寿司の代名詞のようになっています。

バブル期の言い方での「ザギンでシースー」なんて、これももはやなんかの新興宗教

 

ラーメンや寿司の元々がファストフードだったものが、ファストフードでも少しでも美味しいものを提供したいという思いから”高級化”へ進んでいったとしても、それは仕方がないこと。

進化の”多様性”のうちの一つです。

 

でも、どんな雰囲気で食べるか、も美味しさの一部。

雰囲気と料理のバランスが重要。

 

高級フランス料理とかがあんな”決まり”で食べなければならないのは、それが最も美味しく食べられるからでしょう。

 

寿司とかラーメンのファストフードなんて自分が好きなように、気の合った人と一緒に食べた方が絶対に美味しいって。

 

”ザギンでシースー”(しつこいすか?(笑))が寿司の正当な形だと思っている人は多いでしょうが、
私にしてみれば”回転寿司”が寿司の”正常進化”の形なのではないかと思います。

 

江戸時代に町人が屋台でつまんでいたように気軽に食べられる。

家族や仲間でわいわいと食べられる。

寿司以外のメニューがあるのは変に思う人も多いでしょうが、店主がお客さんに喜んでもらえるようにと用意したもの。

ラーメンとか寿司のようなファストフードに”しきたり”は無い、そして”無い”方が美味しいのです。