昔気質技術者のお小言

車、日用品、家電製品、時事問題を技術者的に

こんな年寄りにはなりたくない

とある討論番組で”高齢者”に関する制度等での話。
その中で、最近の高齢者は・・・てのが。
マナーが非常に悪く、”範”を示すべき年代なのに全くできていないと。

なんだこのジジババ共は!っていうところを見たりされたりしたことがある人は少なくないのでは。
もちろん私も見かける。
他人に対して敬語も使えないジジババ共。
店で店員に対してタメ口とか。
”教育”を受けたのか?とすら思える。
田舎者のジジババ共だけかと思っていたが、もしかしたら全国共通かも。

最近よく指摘されるのが、電車等で高齢者に席を譲っても断られる、という事例。

これについても言いたい。
席を譲られるということは”年寄り”に見られているということだ。
自分が年寄りではナイと思っていたとしても。
それは年寄り側が悪い。
自分の見かけは自分の責任。
自分が年寄りに見えるということを自覚されたい。

もし、全身筋肉ムッキムキで背筋を伸ばして立っていたら、きっと誰も席を譲らないだろ?
そういうかっこではなく、年寄りくさい佇まいをしているのに席を譲られて怒る、てのはサイテーの年寄りだ。

自己顕示欲は強いのに、他人からどう見られているかを自覚できないのは人間としてもどうかと思う。

かくいう私は、電車で席を譲られるような年代はそろそろ近い。見かけも老けているし。
もし席を譲られたら、年寄りくさいんだなあと反省して座ろうと思う・・・

年配者に敬意を払うというのは社会として当然、人として当然のこと。
年寄りを軽々しく扱う人間や社会はサイテーである。

しかし、年寄り側は「自分はエライ」などと思ってはいけない
年齢なんてものは生物学的に言ったらただの経過年数である。
社会的には”エライ”要素は何もない。

重要なのは、”年齢”と”肩書”を除いて残った部分が尊敬できるかどうか
それを知っている年寄りが一番偉い、のだ。