昔気質技術者のお小言

~ おいさんのへりくつ日記 ~

ウィンブルドンが”全英”ではないように

ウィンブルドンが「全英」ではない理由とは。

https://www.nikkansports.com/sports/news/1848332.html


よく考えると「どうでもいい」。
ただしこの「どうでもいい」は”思考停止”の意味ではなく。
主催者が”全英”とは言っていない、一介の民間クラブ主催だから言えない、
それでいいんじゃないだろうか・・・

さらによくよく考えると、”一介の民間クラブ”主催であるからとすると、
テニスというスポーツのそもそもというものも見えてくる。
服装の規定が白基調ということについて、”時代遅れ”などという有名選手の意見があったが。
”オール・イングランド・テニスクラブ”がテニスの伝統をかたくなに守ろうとしていればそれは当然。
各国のテニス協会はテニスというスポーツの普及の役目もある。
しかし一介の民間クラブは”普及”なんて役目はナイ。
だからローカルルールみたいなものがあっても当然。
もっとも”ローカルルール”ではなく、”もともとのルール”だったのだろう。

この”ウィンブルドン”の件に似た話は他にもいろいろある。
すぐに思いつくのは”ノーベル賞”。

ノーベル賞は一介の民間財団の賞である。
だから本来は公平性などはどうでもいい。公平である義務もない。
財団内だけで”公平”であればいいのだ。
しかしながら世界的に大きな影響があるものなので、その影響に対して財団が気を遣っている、というもの。

実際、平和賞なんかはその”影響”を財団が利用しているとも考えられる。
その他の賞でも財団の”意図”が表されている。

いや、別にノーベル財団を批判しているわけではありませぬ。
ただ、ノーベル賞が民間財団の賞であることを忘れたというか知らないと思われる論調も散見されるので。

ちっちゃなところでは”流行語大賞”。
主催しているのはどこでしたかな?
別に政府機関が選考しているわけではナイ。
そう考えると、選考結果に対する”批判”がいかに馬鹿馬鹿しいものかということが分かる。
「私は○○じゃなくて△△の方がよかったように思うけどなー」的な意見なら構わないけど、
鬼の首を取ったかのように結果を批判する輩も少なくない。
そういう輩は流行語大賞が一介の民間会社が主催していることも知らないあっさい考えの輩だと思ってよい。