我々は所詮傍観者だ
今年の漢字が「絆」に決まったとか。
それについての意見。
http://netallica.yahoo.co.jp/collect/mark/245123
「絆」などとは所詮傍観者の意見である、との意には共感できる。
で、当事者とならんときにはプイと背中を向ける例が、瓦礫受入れの話。
秋田県では瓦礫受入れの方向だが、これに強硬な反対がある。
岩手県の瓦礫よりも、我々が日常的に使っている携帯電話の方がよっぽど人体に悪影響がある。
つまりそういう危険性レベルってこと。
携帯電話を捨てて今後一切使わないとした一派の主張ならばまだ理解できるが。
結局県民の「絆」のレベルってその程度、と思う。