そもそも”所有”ではないのであった
ヤマダ電機が電子書籍サービスを停止、新たなサービスを始めるのにもかかわらず
以前に購入した電子書籍は読めなくなるというニュース。
ヤマダ電機は大批判を受けて、案内に”不備”があったと言いつつポイント還元を発表したが、どこをどう読んでも”不備”ではないなあ。
批判が多くなければしらっとして購入済み書籍代金の補償はする気がなかったわけだ。
で、そういう事件があったので、そもそも電子書籍とは、という記事が散見された。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140319-00003842-davinci-ent
電子書籍の販売業者が潰れたらそこから買った電子書籍は読めなくなってしまうことは知ってはいた。
上記記事では、電子書籍は所有権がないのではなく利用規約の問題、としているが・・・
納得はいかないですな。
我々が書籍を買うのは、その形態が紙であれ電子データであれ、中身のデータを所有したくて買うわけだ。
中身のデータがカスならば本であればそれはただの紙のカタマリ、電子書籍であればハードディスクを占有する無駄なデータとなるわけだ。
外形は何であっても本の意義は基本的には同じ。
コンテンツの記録方法が紙への印刷か記憶媒体への記録か、の違いでしかない。
コンテンツの配布方法が紙への印刷からデジタルデータに移行していることに世間が追い付いていない、ということであろうなあ。
ま、電子書籍を”買う”のは、雑誌とか中身が軽いモノに限った方がよいでしょうな。
これは大部分の人が思っていることでありましょう。
学術的なものとか教科書的なものは紙という実体になったものを買うべきか。
ところで、amazonが出版社や作家を圧迫しているという話。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2902T_Z20C14A5000000/?n_cid=TPRN0005
この記事の文章がヘッタクソ(翻訳だから原文がヘタクソだったんだろう)なので何を書いているのかいまいち理解できないが、ま、そういうことでしょう。