昔気質技術者のお小言

車、日用品、家電製品、時事問題を技術者的に

大きさの基準がない

金魚を飼っている人が、タブレットで金魚たちの写真を見せてくれた。

「生まれたばかりだとホントに小さいんだけど・・・」

などと説明してくれるのだが、ふと思った。

大きさの基準となるものが側に写っていないと、大きさは分からないですな。

もちろん、金魚だから常識的な大きさというものはあるだろうし、

水槽や水槽の中に置く物も常識的な大きさというのがあるだろう。

しかし、金魚はエサをたくさん与えて長年育てると常識以上に成長するというし。

水槽などだって、もしかしたら水族館の水槽くらいの大きさがあるかもしれん。

中の水草も、バイオ水草で巨大かもしれん。

もしそうだったら写真に写っている金魚はとてつもない巨大魚の可能性があるわけだ。

もっとも、その人の家は普通の外観なので水族館並みの水槽ということはナイ。

いや、広大な地下室があったとすれば・・・(笑)

何が言いたいのかというと、

我々は”常識”とか思い込みで対象物(実体がある物体に限らず)の大きさを判断しがちなわけだ。

その結果その対象の大きさを見誤る可能性が大であるのだ。

実体がある物品の大きさを表すのに、昔は見た人が誤解しないよう”タバコの箱”を近くに置いて写真を撮ったものだ。

しかし現代ではそんなものは使えない。

タバコの箱以来、大きさの基準になるものが現れていないような気がする。

つらつら周りを見回してみると・・・

トイレットペーパーの芯はどうか。トイレ用品だからいまいち使いにくいか。

ペットボトル。少し大きすぎるか。

缶コーヒーならばどうか。

CMが激しく流れているから大きさをイメージしやすいだろう。

いや、ドラム缶くらいの缶コーヒーかもしれんぞ?

そういうことを言ったらきりがないのだが(笑)