昔気質技術者のお小言

車、日用品、家電製品、時事問題を技術者的に

20年後、大学からのノーベル賞受賞者はいなくなる

ノーベル賞受賞者数で基礎研究力や科学技術力を論ずるのがもはや間違いなのだが・・・↓ http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20151012-00045793-biz_gendai-nb http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151012-00010001-newswitch-bus_all (リンク切れしていたらすみません) 韓国などでは、なぜノーベル賞受賞者が出ないかという議論がされているようだが そーいう考え方がすでに間違い。 ノーベル賞を狙うから取れないのだ。 ”質が高い”研究とか発明なんて、人間性によるところが大きい。 ここで言う人間性とは、いわゆる性格とはちと違うが。 現在までにノーベル賞を受賞したような研究や発明は ”とことん突き詰めた結果”によるもの。 しかし現在は、特に大学ではとことん突き詰める研究なんかやっちゃいない。 だから、もう20年もすると、日本の大学からはノーベル賞受賞者は出ない。 理系のノーベル賞は、人類への貢献が理由になる。 だから人類に普及して役立っている科学技術にスポットがあてられる。 人類に普及するいうことは、工業生産が成されるということ。 そしてその工業生産を行なうためには、周辺要素の研究による土台固めが非常に重要。 周辺要素をとことん突き詰めてから生産しなければならない。 そうでないと砂上の楼閣みたいになり、良い”物”を安定して”生産”することができない。 ところが、主に研究・発明する組織である大学では、そんなことは知ったこっちゃない。てゆうか、工業生産が何たるものかを全く知らない。工学部であっても。 それは、昨今の大学研究者の評価が、単に論文数とか、単なる、本当に単なる”チャンピオンデータ”だけで語られるから。 だから大学の研究者は論文を書くためだけの研究をする。 チャンピオンデータを他者よりも早く出すためだけに実験をする。 周辺の土台固めなんか全くしない一発勝負的な実験を繰り返してチャンピオンデータに当たればいいのだ。 要するに、主たる現象に影響を与えるような”周辺要素”はほとんど議論されないのだ。 だから、そういった発明とか研究はそのままでは全く役に立たない。 そういった研究や発明を工業化するのは企業。 工業化するために、安定した特性を出すために周辺要素の気になる部分を潰していくのは企業内エンジニアである。 大学や公設機関の研究者はそこに助言をしようとしてもトンチンカンなことしか言えない。 しかし企業内エンジニアは、大学研究者よりも知識量が少ないので苦労するのだが・・・ そこで本当に活躍するのは、研究能力を持った企業エンジニアか、大学研究者でありながらモノづくりの現場で油にまみれることをいとわないような人である。
そういった人って今はいるかい? 滅多にいませんよね? チャンピオンデータを出すだけの実験指示に終始してばっかり。 韓国がこれまでノーベル賞が出なかったのはこういった理由に因るのだ。 そして地方大学がらみのノーベル賞が増えているのも、 地方大学は地元の中小企業を深く付き合わないと研究費が出ないから、おのずとモノづくりの現場を深く知ることになるからである。 もう一度まとめると、 チャンピオンデータを出すだけの研究(これは研究と呼べないと思うが)では、気になった周辺要素をとことん突き詰めるようなことはしないから、工業化なんてできない。 工業化ができないということは、人類へ貢献することはない。 人類の貢献が無い研究にはノーベル賞なんか与えられない。 すなわち、現在の大学研究者の体たらくでは、そのうちノーベル賞は誰も受賞しなくなる。 受賞者が出るとすれば、大学の研究から企業化したような人とか、大学から企業へ移行して研究を続けるような人である。 以上、単なる推測ではなく、”実感”からの推論であります。