誰が決めたの?って言われても・・・
2013年の流行語大賞はなんだったか覚えていますかな?
確か四つありましたな・・・
げげげっ!
明日やる!
ご・せ・ん・ま・ん
親切な人だと思った!
・・・だっけか(汗)
で、ふときいたラジオの番組では、米国系のコメンテーターとか、オカマ系のコメンテーターがそれぞれ、
「”流行語大賞”って誰が決めるの?」と。
いや、流行語大賞に関する報道(こんなんを報道といっていいのかどうかは別にして)では、大体が主催者のことを頭に付けているが。
誰が決めてるの?と思ったらちょっと調べればすぐに出てくるし。
しかし、これらのコメンテーターが言っているのは(たぶん)そう言うことではなく。
主催者の名前を付けずに報道しているのも相当あるのだ。
そして、”今年の流行語”なんてものを誰が決めたのか?ということを疑問に思う人が少ない、ということを言いたかったんだろう。
つまり、人々は”大賞はこれです!”と言われると何の疑問も持たず、あたかもそれが自然現象であるかのように受け入れる。
そしてそういう風潮に疑問を持つのはちょっと変わった人、外国人とかオカマとか、なのだ。
つきつめると、新聞やらテレビやらの言うことにすぐに踊らされる人々が多いということだね。
テレビですら人の決めたことを自然現象であるかのように紹介しているし。
今年の流行色、なんてものはどっかのファッション雑誌が決めているということを知っているかい?
ベスト○○賞なんてものは全て私的な”主催者”がいることを意識しているかい?
これらのことをなーんにも意識していない人がテレビのウソ報道とかネット上のデマにも踊らされるのだ。
さらに言うと、ノーベル賞の受賞者を決めているのも公的機関ではなく私的機関であることは知っていますかな?
だからその私的機関の思想を反映した受賞者が決められるのだ。ノーベル平和賞とかね。
いや、別にノーベル賞を批判しているわけではないですが。