新聞社なんてそんなもん
新聞社の闇についての記事。
http://biz-journal.jp/2013/10/post_3091.html
この記事の筆者も指摘しているが、朝日新聞に限ったことではないだろう。
新聞社・通信社のレベルの低下は昨今の不祥事続きからもよくわかる。
この記事内の言葉尻をとらえるようだが、「浅い議論が好まれる傾向にある」と。
社内で浅い議論しかできないのに、取材で深く切り込むことができるわけはないよねえ・・・
古い言葉だが、ペンは剣よりも強し、と。
こういう強い物を持つ人は自らを厳しく律しなければならない。
例えは悪いが、強力な兵器を持つことと一緒だ。
法律で規制するのもなんだが、マスコミで働くには倫理学あたりを修めなければならないという規制でも設けたらどうかとも思う。
大手新聞社だけではない。
地方新聞社はどうか。
闇もあるかもしれないが、レベルも、まあ、アレですな。
政治経済ネタは共同通信社から買えばいいや、
地元の政治ネタは県庁の発表をそのまま紙面に写せばいいや、
事件は県警から聞いたことをそのまま書けばいいや、
あとは地元の催し物でもテキトーに載せておけば、
コラムも中学生並みの作文で十分、
・・・となっていないか?
いや、なっているよな、秋田魁新報。
こんなんじゃミニコミ誌と変わらんよ・・・いや、それ以下。
金を払って読むものではないと気づかれ始めている。
どこの県の地元新聞であっても、
もし県庁内で不祥事があって、地元新聞が原因や責任にどう切り込むかでその新聞がマトモなマスコミかどうかがわかる。
おそらく、大抵は、
原因や責任は県庁の発表をそのまま文章を書きかえて載せるだけで、独自の取材と考察はしていないだろう。
施策が明らかに間違いだったとしても、例えば”拙速だった”とか”手法に一因が”とかの言葉でお茶を濁して、誰に責任があるかなんて追求していないはずだ。
これじゃあ地方新聞も公務員(批判的な意味で使われる場合の)と同じだ。
その点、全国紙の地方局の場合は地元にしがらみがなかったりするときっちり取材する、こともある。
今季も秋田市民は雪に苦しむであろう。
それについての取材は、おそらく地元新聞は相変わらず、除雪予算がいくら支出されただの、街中では市民が苦労している様子をちょっと書くだけの、お上の回覧板に徹するであろうなあ。